
山形・峠駅で新幹線を見るには? 通過時刻や秘境駅の歴史・「峠の力餅」の実態とは...

山形県の米沢市にある「峠駅」を知っていますか?ここは、市街地から車で約40分ほど離れた、山奥にあるJRの駅です。その立地と風景も相まって「秘境駅」とも呼ばれています。
駅名物の力餅やスイッチバックの名残、開業から現在に至るまでの様々な歴史や新幹線の通過時刻までわかりやすくご紹介します。峠駅の秘密を、ぜひ覗いてみてください!
駅の歴史
峠駅は、1899年に開業しました。周りには民家などはなく、そのまま峠と名付けられました。
山形県と福島県の間にある奥羽山脈を越える板谷峠は、最大38‰(パーミル・1000mあたり38mの高低差)という急勾配の道のりで、その中でもここ峠駅は標高622mと奥羽本線内で最も高く、ここを境としてそれぞれの方向に下り坂になっています。新幹線が走る道としては、現在も全国1位の勾配です。

開業当時は蒸気機関車の時代、急勾配が続く山を越すためには、途中で石炭と水を補給する必要がありました。坂の途中で止まるとマニュアル車の坂道発進と似たように、上から下へ滑り落ちてしまいます。
そこで、「スイッチバック」という方式が採られます。

峠駅があるこの場所は、トンネル工事の残土を活用し埋め立てされて平坦に作られ、坂を上る機関車は、本線から一度駅の平坦な引き込み線に進入しホームに停車、補給をおこないます。その後、対角線上に設けられたこちらも平坦な退避用の引き込み線にバックし、助走をつけて本線に再進入します。
こうすることで、安全に停車し乗客の乗り降りや補給がおこなえるようになりました。

現在の峠駅
今年(2026年)、峠駅は開業127年を迎えました。
ここ周辺は豪雪地帯で積雪が3mになることもあり、当時は24時間体制で石油と火を使って、ポイント(分岐器)の融雪作業をおこなっていたそう。その後、雪から線路やポイントを守るためにスノーシェッドが設けられ、現在もその名残をとどめています。当時の蒸気機関車の煤で、全長200mあるスノーシェッドの天井は黒く染まっています。

1949年に福島〜米沢駅間が直流電化され、一部列車はスイッチバック不要で通過できるように。国鉄が民営化されて間もなく、1990年に山形新幹線開業に伴う線路幅の拡大(改軌工事)のため、スイッチバックを廃止しホームを本線に移設。旧ホームは1997年に老朽化のため解体されました。現在は立ち入り禁止ですが、西側の変電設備奥にはスノーシェッドの鉄骨や架線柱が残っていて、そこが旧ホームの場所です。
ホームには、力餅が販売されている峠の茶屋側のスノーシェッド末端部分、または少し東側に進んだ箇所から出入りすることができます。スノーシェッド末端部分には、信号機や架線柱が残り、その西側にもともと旧ホームが繋がっていたということになります。

駅の構造
出入口側から奥が上り線、手前が下り線で、その間にホームがある「島式ホーム」と呼ばれるよくある一般的な構造です。無人駅で改札はありませんが、構内踏切があります。踏切は下り線を跨ぐ形で、上り線側にはありません。電車が近づくと、少し不気味な踏切の警報音がスノーシェッド内に響きます。

下り線(米沢方面)の接近は踏切でわかるが、上り線(福島方面)は放送なく接近するため注意が必要。また、下り線の電車に乗車する場合、停車する前から遮断機が下り始めるため、あらかじめホームへ移動しておく必要がある。
ホームの端には切符回収箱と夜間用の照明点灯ボタン、中央に電光のお知らせ表示器付きの待合室が設けられている。待合室には「駅ノート」が置かれていた。踏切横には汲み取り式の仮設トイレもある。

峠の力餅
板谷峠は、参勤交代の街道としても使われ、その関係から奥羽本線は街道沿いに作られました。鉄道工事が始まった頃、街道沿いの茶屋を切り盛りしていた者が工事に従事する傍ら自慢の大福餅を振る舞っていました。
鉄道が通され駅が開業した頃、峠駅の初代駅長から「その餅を売ったらどうだ?」と言われ、駅で餅を販売するようになりました。これが今も続く「峠の力餅」の始まりです。駅が開業した2年後の、1901年のことです。駅で機関車が石炭と水を補給する間、列車の窓越しに餅を販売していました。1908年には、大正天皇が皇太子時代に車窓から力餅を買ったと言い伝えられています。

125年が経過した令和の今でも力餅を販売する文化は受け継がれています。
峠駅には1日12本の電車が停車し、そのうちの8時・13時・18時台の電車が停車するときに立ち売りがおこなわれています。「ちから~もち~」という声がスノーシェッド内に響きます。土日祝日は7時台の電車でも立ち売りがあり、事前の予約で在庫確保が可能、2箱以上の予約で平日の7時台と19時・20時台の電車でも販売をおこなっている。

立ち売りは奥羽本線の停車時のみ、停車時間は約30秒。売り子の立つ位置は電車最後尾の乗降口前で、購入者側からホーム側に出向く必要がある。奥羽本線は手動のボタンでドアを開閉する方式のため併せて注意が必要。1箱8個入りで1,000円、現金のみ。
30年前までは停車時間が長く餅以外にもお茶やジュース、アルコールやおつまみも販売していたそうだが、今は力餅のみの販売。立ち売りでなくても、駅からすぐの店舗「峠の茶屋」で購入できます。茶屋は休憩スペースのほかにその他の食べ物や「峠の力水」も湧き出ている。

戦時下の峠駅
1941年、戦時下において峠駅南側の約5km(道のりでは8km)離れた標高約1300mの山中に「滑川鉱山」が開発され、露天掘りで1日平均100トン・年間1~2万トンの褐鉄鉱(鉄鉱石)が採掘されていました。鉱山全体の推定埋蔵量は約65万トンで、約90人が作業にあたっていました。
採掘された鉱石は5300mある架空索道で峠駅まで運ばれ、駅の滑川鉱山専用線を通じて貨物列車に積み込まれました。その後、新潟県・東新潟港駅に到着した鉱石は船で福岡県・官営八幡製鐵所へ向かい、戦争における軍事素材として使用されていました。太平洋戦争そして戦後復興と高度経済成長を支えていたことになります。

2か所の鉱床から褐鉄鉱の採掘がおこなわれ、2棟の宿舎の南北に鉱床がありました。第一鉱床は大滝沢を挟んだ対岸に位置するため、吊り橋が設けられました。1970年に閉山となり、索道の鉄塔やトロッコのレール、トラックなどが今も姿を残しています。鉱山跡へは、滑川温泉または姥湯温泉からの登山ルートが通じていて、現在も岩肌が見えていたり、地形に特徴があります。
峠駅周辺には、最盛期で約80世帯の鉄道関係、鉱山の関係者とその家族が住んでいたそう。採掘最盛期の1959年の駅の貨物収入は約1,240万円と、多くの貨物を取り扱っていたことが窺える。
峠駅で電車を見るには
峠駅は、山形新幹線(E8系)が1日約30本通過、在来線の奥羽本線(719系)が1日12本停車します。山形新幹線は福島の次に米沢に停車するため、その間の峠駅は停車せず通過します。
前項の峠の力餅で挙げた通り、在来線の停車時は餅の立ち売りがおこなわれています。ここでは、峠駅を通過する新幹線について紹介します。峠駅に行ったなら、スノーシェッド内を通過する新幹線も見て欲しいものです。

新幹線の通過時刻は駅には掲載されていないため、前後の駅の時刻表から予測する必要があります。米沢駅を基準にする場合、12~15分程度で峠駅を通過します。上り線は時刻表からそのまま時間を足し、下り線は逆に時間を引くことで通過時刻が予測できます。当日の運行状況により必ずしも同じ時刻に通過するとは限りません。
今回訪れた際の通過時刻は、上り14時52分・下り14時55分でした。ほとんどの時間帯で、ほぼ同じタイミングで上下線が通過する形です。下り線は踏切が鳴るため接近がわかりますが、上り線には踏切や放送がないため容易にはわかりません。ホームにいると、線路から「キーン」という走行音が徐々に聞こえてきます。その音が接近の合図です。通過速度は60~70km/hと遅めです。

この先、峠駅が消滅する可能性も
ここまで、峠駅の歴史について触れてきました。今現在、この峠駅は奥羽本線の停車駅であり、山形新幹線の通過点でもあります。豪雪地帯を安全に走るため、そのスノーシェッドは今も活躍しています。マニアの中でも秘境駅として峠駅は有名であり、その景色や力餅を求めて訪れる人が多くいます。

山形新幹線は、2026年に開業34年を迎えました。新庄~東京を結ぶ交通手段として、文化の発展や物流にも貢献しています。その中で、福島〜米沢駅間の山岳地帯は、自然条件や動物との衝突といった理由で大きく運行を左右する要素です。
そこで挙げられているのは、福島〜米沢駅間に約23kmのトンネルを整備するというものです。

トンネルが整備されれば、約10分の時間短縮が見込まれ、運行の安定性にも貢献します。「米沢トンネル(仮称)」は、現状計画段階ではありますが県・JRとしても実現の方向で話し合いが進められています。工期は約19年。
具体的なトンネルの位置は公表されていないものの、有力視されているのは福島・庭坂駅~山形・関根駅間の区間。この区間には、峠駅を含め、板谷駅と大沢駅の3駅がありますが、大沢駅は全列車が通過、板谷駅においても冬季間は全列車が通過します。駅利用者数のデータからも、この3駅は廃止される可能性が高いです。
峠駅が廃止された場合、駅の名物でもあった「峠の力餅」という文化にも影響が出ます。この先、どのようになるかはまだわかりませんが、この景色、この文化はぜひ知って欲しい、訪れて欲しい場所のひとつです。










